私の灘受験

 

昔話

むかーしむかーし

あるところに灘を受験した愚か者がおったそうな。

私は灘受験の経験があります。受かる力量は正直なかったと思いますが、理数が得意で社会が苦手だったので、常に塾の志望校の欄には灘を記入していました。で、実際に勝負してみたいと思い受けました。大昔の話です。

受験時の記憶

受験前の記憶

受験には、私ともう一人の塾生と引率の先生とで向かいました。受ける前までのことは、あまり記憶にありません。一緒に受けた子は、私とは別の校舎の生徒だったので、色々とどういう勉強をしているのかを教えてもらったりして、和やかに過ごしたように思います。

受験当日の記憶

当日は、緊張してはいなかったのですが、最終的にパニックになって終わりました。

今はどうか知りませんが、私が受けたときは、なんか机と椅子がなんか繋がっていて、椅子を引くという動作が出来ないことにまず面食らった記憶があります。

そして、科目の間の休憩時間に同じ塾の子と思しき受験者が、友達同士で漫画読んで談笑していたのを見てさらに面食らった記憶があります。圧倒的に不可解な景色でした。もし彼らが周辺の受験生にそういう類のプレッシャーをかける作戦を取っていたとするならば、それはそれとておそロシアですが、そうではなく本当に余裕であれをやっていたとしてもそれはそれとておそロシアです。

結果

そしてそのせいかは不明ですが、得意の理数が不得意な国語よりもできませんでした。本当にショックでした。

理数だけは全国的にもそこそこ力があったと思うのですが、あの日の私はとてもじゃないですが、私ではなかったです。実は、計算問題1問解くのに10分くらいかかっていました。普通そんなことありえませんが、そういうことになっていました。

感想

帰りには引率の塾の先生に神戸牛のステーキをご馳走になった記憶があります。ショックではありましたが美味しくいただいたと思います。

あと、1日目の終了後にある学校の合格の知らせを引率の先生から受けましたが、正直、喜ぶどころではなかったです。

もう、あとは、なんというか、ふわふわしていて断片的な駅構内の風景をうっすら覚えている程度です。

受験時の感想としては、雰囲気からして、だめだこいつらなんか凄すぎる。俺来ちゃいけないところに来てしまった。ああ、俺はそういうレベルの人間なんだなと、何か変なコンプレックスを頭の中に植え付けられたなあという感じでした。確か点数と順位が結構早めに出た記憶があるんですよね。結構下にも人がいた記憶があるので、記念受験者も結構いたんだなあということをうっすら覚えています。悔しいという感想もありませんでした。ただただボーゼンとしただけの受験でした。私が人生で一番わけがわからない心理状態で物事に挑んでいた2日間でした。あれ以上に、恐怖みたいなものを覚えた場は未だありません。

 

今となっては、懐かしい良き子ども時代の記憶ですが、今思うとやっぱり灘ってすごい連中の集まりなんですよね。

灘合格に導く親御さんもすごいと思います。他のブログでも灘合格を勝ち取った方のブログや目指しておられる方のブログもありますが、大変参考になります。情報を提供していただけて本当にありがたい存在です。

今日はここまで!

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